もその厭な殘骸から脱却して、新日本の一民として生きたいのだ。
 當今といへども、姐御がりたいものがないとはいへない。黨を組んでためにしようとするもの、自分の實力以上の力としようとするもの、或は皆無でないかもしれない。だが賢明なる周圍が、そんな時代錯誤をさせはしない。集團的の強さはみんなよく知つてゐるが集團は、個々の集りで、親分子分の關係でないから、自由であり、快活であり、卑屈でない。
 およそまあ、姐御なるものを想像してごらんなさい。心の肌のキメの粗いものだ。神經は馬の尻つぽの毛を縒《よ》りあはせたほど太く、強靱でなければならない。まして顏の皮は、昔でさへ千枚ばりといつたが、防彈ハガネほどでなければなれない。
 わたしなども、大姐御と書かれることもあるが、愛敬《あいきやう》なのはわかつてゐる。愛稱《あいしよう》してもらつてゐるのであつて、今の世の、ほんとの大姐御などといふものになれる資格があれば、それは、昔時の叡山の惡僧よりもたいした代ものだ。わたしはただ、害のない存在として、若い女友だちから愛されてゐる幸福者にすぎない。わたしには姐御などになれる荒つぽい勇氣がない。そんな風におもはれ
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