っている藤間勘次さんが、藤間静枝の「藤蔭会《とういんかい》」の第一回に出られた時のことで、日本橋の常盤《ときわ》倶楽部で御座いました。その折にわたくしは何故となく「煤烟」は男の方から見ただけで書いたものだという気持がしました。その後、『青鞜』から尾竹紅吉さんの『サフラン』が生れ、『青鞜』が伊藤野枝《いとうのえ》さんのお手に移ってやめられてから、『青鞜』の第二世という『ビアトリス』が新《あらた》に生れ、そしてその同人|山田田鶴子《やまだたずこ》さんに時折お目にかかる機会が来たときに、山田さんから伺ったはなしでは「煤烟」の作者は、幾度「煤烟」を繰《くり》かえそうとなすっているかと、ほほえまれるので御座いました。
あの事件――あなたのお名がわたくしにも親しみ深くなったおり、あなたの処女作でおありだろうと思う、たしか二場ばかりの脚本を載せた小さな雑誌の寄贈をうけたことがありましたが、「煤烟」の中のあなたらしい女性をとりあつかった題材で、脚本そのものは、平ったくもうせば、よかったとはもうせませんが、わたくしは大変興味をもって読みました。そのまたあなたが禅をお学びだということもそのうち承わりまし
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