をよく知らないで嫌いだといって、あなたの事といえばよく聞きもしないで悪くキメつけるお爺《じい》さんが御座います、紅蓮洞《ぐれんどう》という人です。その実その人は、決してあなたが嫌いなのではないので御座います。その人として嫌いなはずがないので御座います。奇人ゆえ、ふとした事から嫌いにしてしまうと、もう取返しがつかなくなって、しつこいほど意地わるく悪口をするので御座います。けれどわたくしはその人がひそかにあなたには敬意をもっていることを知っています。奇人にはちがいありませんが、洒脱《しゃだつ》、飄逸《ひょういつ》なところのない今様《いまよう》仙人ゆえ、讃美する的《まと》が外《はず》れて、妙に反《そ》ぐれてしまったのだと思います。そのくせその人が好意を示しているもので、あんまり感心した女はないのです。そして好意を持ちながら侮蔑《ぶべつ》しきっているのです。
 それとは事かわりますが、世の中には、誉《ほ》めたいのだが、他人があんまり感心するから嫌だといったふうな旋毛曲《つむじまが》りがかなりにあります。口に新時代の女性を謳歌《おうか》しながら、趣味としては、義太夫節などにある、身を売って夫を養
前へ 次へ
全16ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング