屈をすると鬢《びん》の毛の一、二本ほつれたのを手のさきで弄《いじ》り、それを見詰めながらはなす。話に油がのってくると、間《あいだ》をへだてていたのが、いつの間にか対手《あいて》の膝《ひざ》の方へ、真中にはさんだ火鉢《ひばち》をグイグイ押してくるほど一生懸命でもあったという。
 半日に一枚の浴衣《ゆかた》をしたてあげる内職をしたり、あるおりは荒物屋《あらものや》の店を出すとて、自ら買出しの荷物を背負《せお》い、ある宵《よい》は吉原《よしわら》の引手茶屋《ひきてぢゃや》に手伝いにたのまれて、台所で御酒のおかんをしていたり、ある日は「御料理仕出し」の招牌《かんばん》をたのまれて千蔭《ちかげ》流の筆を揮《ふる》い、そうした家の女たちから頼まれる手紙の代筆をしながらも、
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小説のことに従事し始めて一年にも近くなりぬ、いまだよに出したるものもなく、我が心ゆくものもなし、親はらからなどの、なれは決断の心うとく、跡のみかへり見ればぞかく月日ばかり重ぬるなれ、名人上手と呼ばるゝ人も初作より世にもてはやさるゝべきにはあるまじ、非難せられてこそそのあたひも定まるなれと、くれ/″\せめら
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