》美人にしてしまうのかと、審《いぶか》しまれもしようが、私が作物を通して知っている一葉女史は、たしかに美人というのを憚《はばか》らぬと思う自信がある。写真でも知れるが、あの目のあの輝き、それだけでも私は美人の資格は立派にあるといいたい。脂粉に彩《いろ》どられた傾国《けいこく》の美こそなかったかも知れないが、美の価値を、自分の目の好悪《こうお》によって定める、男の鑑賞眼は、時によって狂いがないとはいえない。あまりお化粧もしなかったらしい上に、余裕のある家庭ではなし、ことに、
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――なまめかしいという感じを与える婦人ではなかった、艶《つや》はない、如何《いか》にもクスんだ所のある人であった、娘というよりは奥さんといいたいような人であった。当時の普通一般の女を離れて、男性の方に一歩変化しかけたように感ぜられる婦人であった。挙止《きょし》は如何にもしとやかであった。言葉はいかにも上品であった。何処に女らしくないというところは挙《あ》げ得られないにかかわらず、何処となく女離れがしているように感ぜられた。多分は一葉君の気魄《きはく》の人を圧するようなところがあったからであろう
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