。けれども、その少女お園の心持ちは、内気な少女《おとめ》には、よく頷《うなず》かれもし、残りなく書尽《かきつく》されてもいる。我と我身が怨《うら》めしいというような悩みと、時機を一度失えば、もう取返しのつかない、身悶《みもだ》えをしても及ばないくいちがいが、穏かに、寸分の透《すき》もなく、傍目《わきめ》もふらせぬようにぴったりと、悔《くい》というかたちもないものの中へ押込めてしまって、長い一生を、凝《じ》っと、消《きえ》てしまった故人の、恋心の中へと突《つき》進めてゆかせようとするのを、私は何とも形容することの出来ない、涙と圧迫とを感じずにはいられない。――動きのとれない苦しみを知る人でなければと思うと、私はお園の上から作者の上へと涙をうつすのであった。

 ――私の書方《かきかた》は、あんまり一葉女史を知ろうために、急ぎすぎていはしまいか。
 或る人は女史を決して美人ではないといった。また馬場孤蝶《ばばこちょう》氏の記するところでは、美人ではなかったが決して醜い婦人ではない。先ず並々の容姿であったとある。親友の口からそう極《きわ》めがつけられているのを、見も逢いもせぬ私が、何故《なぜ
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