で、二人を紹介したのがはじめだった。ところが、その人は、友達のように親しく一葉に同情し、友達よりも深い信実心《まごころ》を示した。いかほど用心深い性質《さが》でも、若い女には若い血潮が盛られている。十九の一葉はその人を心から兄と思い慕った。そしてその慕わしさは恋心となった。
「よもぎふ日記」二十六年四月六日の記に、
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こぞの春は花のもとに至恋の人となり、ことしの春は鶯《うぐいす》の音に至恋の人をなぐさむ。
    春やあらぬわが身ひとつは花鳥の
        あらぬ色音にまたなかれつゝ
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とある末に、
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もゝのさかりの人の名をおもひて、
    もゝの花さきてうつろふ池水の
        ふかくも君をしのぶころかな
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とある。桃の花のうつらう水というのこそ、彼女の二なき恋人の名なのである。その人こそ現今《いま》も『朝日新聞』に世俗むきの小説を執筆し、歌沢《うたざわ》寅千代の夫君として、歌沢の小唄《こうた》を作りもされる桃水《とうすい》、半井《なからい》氏のことである。
 半井氏を一葉はどれほ
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