もかなり打明けて語りあっている。でありながら最後に(彼れの底の心は知らぬでもない)と冷たくあしらったのは、あまり正太夫が自分の筆になる鋭利な小説評が、その当時の文壇の勢力を左右した力をもって、折々何事にもあれ一葉の行方を差示《さししめ》し顔に、その力量をほのめかして、感得させようとしたのから、反抗を買ってしまった。浪六にはその前年から頼んであった金策のことで、大晦日《おおみそか》の夜も待明《まちあか》したのであったが、その年の五月一日になってもまだ絶えて音信をしなかったので、
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誰もたれも言ひがひのなき人々かな、三十金五十金のはしたなるに夫《それ》をすらをしみて出し難しとや、さらば明かに調《ととの》へがたしといひたるぞよき、えせ男作りて、髭《ひげ》かき反《そら》せどあはれ見にくしや
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と吐《は》[#ルビの「は」は底本では「ほ」]きだすように言われている。その他に樋口勘次郎は、身は厭世教を持したる教育者で、しかも不娶《めとらず》主義の主張者でありながら、おめもじの時より骨のなき身になったといって、
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勿体なくも君を恋まつ
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