時の往来だけでもあっさり書いておこうと思う。
 第一に孤蝶子――馬場氏が日記の中で巾《はば》をきかしている――先生の熱心と、友愛の情には、女史も心を動かされた事があったのであろう。その次には平田禿木《ひらたとくぼく》氏であろう、この二人のためにはかなり日記に字数が納められている。そしてこの二人の親密な友垣の間にあって、女史は淡い悲しみとゆかしさを抱いていたのであろう。
「水の上日記」五月十日の夜のくだりには、池に蛙《かえる》の声しきりに、燈影《とうえい》風にしばしばまたたくところ、座するものは紅顔の美少年馬場孤蝶子、はやく高知の名物とたたえられし、兄君|辰猪《たつい》が気魂を伝えて、別に詩文の別天地をたくわゆれば、優美高潔かね備えて、おしむところは短慮小心、大事のなしがたからん生れなるべけれども歳は、廿七、一度|跳《おど》らば山をも越ゆべしとある。
 平田禿木は日本橋伊勢町の商家の子、家は数代の豪商にして家産今|漸《ようや》くかたぶき、身に思うこと重なるころとはいえ、文学界中出色の文士、年齢は一の年少にして廿三とか聞けり。今の間に高等学校、大学校越ゆれば、学士の称号目の前にあり、彼れは
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