織の下になるところは小切《こぎ》れをはぎ、見える場処《ところ》にだけあり合せの、共切《ともぎ》れを寄せて作った着物をきていったことがある。勿論《もちろん》裾廻《すそまわ》しだけをつけたもので、羽織が寒さも救えば恥をも救い隠したのである。そうしても師の許《もと》へ顔をだす事を怠《おこた》らなかったわけは、他《ほか》にもあるのであった。歌子は裁縫や洗濯《せんたく》を彼女の家に頼んで、割《わり》のよい価を支払らっていた。師弟の情誼《じょうぎ》のうるわしさは、あるおり、夏子に恥をかかせまいとして、歌子は小紋ちりめんの三枚重ねの引《ひき》ときを、表だけではあったが与えもした。
「蓬生《よもぎう》日記」の十月九日のくだりには、
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師の君に約し参らせたる茄子《なす》を持参す。いたく喜びたまひてこれひる飯《げ》の時に食はばやなどの給ふ、春日《かすが》まんぢうひとつやきて喰《く》ひたまふとて、おのれにも半《なかば》を分《わけ》て給ふ。
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とあるにも師弟の関係の密なのが知られる。けれども歌子は一葉をよく知っていた。あるおり『読売新聞』の文芸担当記者が、当時の才
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