苦しいほどの、切羽《せっぱ》詰った生活が露骨に示されているのを、私は何となく、胸倉《むなぐら》をとられ、締めつけられるような切なさに堪えられぬといった気持ちがして、そのため読む気になれなかった。
 しかし、今はどうかというに、私も年齢《よわい》を加えている。そして、様々のことから、心の目を、少しずつ開かれ風流や趣味に逃げて、そこから判断したことの錯誤《あやまち》をさとるようになった。この折こそと思って、私は長くそのままにしておいた一葉女史の日記を読むことにした。すこしでも親しみを持ちたいと思いながら――
 で、お前はどう思ったか?
と誰かにたずねてもらいたいと思う。何故ならば、私はせまい見解を持ったおりに、よくこの日記を読まないでおいたと思ったことだった。拗《ひね》くれた先入観があっては、私はこの故人を、こう彷彿《ほうふつ》と思い浮べることは出来なかったであろう。よくこそ時機のくるのを待っていたと思いながら、日記のなかの、ある行にゆくと、瞼《まぶた》を引き擦《こす》るのであった。それで私に、そのあとでの、故人の感じはと問えば、私はこう答えたい気がする。
 蕗《ふき》の匂《にお》いと、あ
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