生伸びようとも、とてもその片鱗《へんりん》にも触れることの出来ないものがある。一葉女史の味わった人世の苦味《にがみ》、諦《あきら》めと、負《まけ》じ魂との試練を経た哲学――
信実のところ私は、一葉女史を畏敬《いけい》し、推服してもいたが、私の性質《さが》として何となく親しみがたく思っていた。虚偽《いつわり》のない、全くの私の思っていたことで、もし傍近くにいたならば、チクチクと魂にこたえるような辛辣《しんらつ》なことを言われるに違いないというようにも思ったりした。それはいうまでもなくそんな事を考えたのは、一葉女史の在世中の私ではない、その折はあまり私の心が子供すぎて、ただ豪《えら》いと思っていたに過ぎなかった。明治四十五年に、故人の日記が公表《おおやけ》にされてからである。私は今更、夢の多かった生活、いつも居眠りをしていたような自分を恥じもするが――幾度かその日記を繙《ひもと》きかけては止《や》めてしまった。愛読しなかったというよりは、実は通読することすら厭《いや》なのであった。それは私の、衰弱しきった神経が厭《いと》ったのであったが、あの日記には美と夢とがあまりすくなくて、あんまり息
前へ
次へ
全52ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング