女史の記録を読むと、明治廿四年――(一葉廿歳の時)十月十日に兄の家は財産差押えになるという通知をうけたくだりに、金三円|斗《ばか》りもあれば破産の不幸にも至るまいという書状から推《お》しても、杖《つえ》とも頼む男兄弟の、たよりにならなかったことがしれ、かえって妹たちの方が苦しいなかからその急を救った。
「家の方は私の稽古着《けいこぎ》を売ってもよいから」といって、親子の膏《あぶら》であり、血となる代《だい》の金四円を、母を車に乗せて夜中ではあれど届けさせた。
 ある時は貧に倦《うん》じた老女の繰言《くりごと》とはいえ、
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「あな侘《わび》し、今五年さきに失《うせ》なば、父君おはしますほどに失なば、かゝる憂き、よも見ざらましを我一人残りとゞまりたるこそかへす/″\口をしけれ、我|詞《ことば》を用ひず、世の人はたゞ我れをぞ笑ひ指さすめる、邦《くに》も夏もおだやかにすなほに我やらむといふ処、虎之助がやらむといふ処にだにしたがはゞ何条ことかはあらむ、いかに心をつくりたりとて手を尽したりとて甲斐《かい》なき女の何事をかなし得らるべき、あないやいやかかる世を見るも否《い
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