な者の中にはさまれて暮していなければならなかった母君の、ジリジリした気持ち――(気勝者《きしょうもの》)といわれる不幸《ふしあわせ》な気質は、一家三人の共通点であった。
 一葉女史が近視眼だったのは、幼時土蔵の二階の窓から、ほんの黄昏《たそがれ》の薄明りをたよりにして、草双紙《くさぞうし》を読んだがためだという事ではあるが、そうした世帯の、細心《ほそしん》の洋燈《ランプ》の赤いひかりは、視力をいためたであろうし、その上に彼女は肩の凝る性分で、かつて、年若い女史にそう早く死の来ることなどは、誰人《たれ》も思いよらなかったおり(死の六年前に)医学博士佐々木東洋氏が「この肩の凝りが下へおりれば命取りだから大事にせよ」と言われたということなどを思って見ても、早世は天命であったかも知れないが、あまり身心を費消させた生活が、彼女の死を早めさせたのだ。

 私は頃日《このごろ》、馬琴《ばきん》翁の日記を読返して見て感じたのは、あの文人が八十歳にもなり、盲目にもなっていながら、著作を捨てなかった一生が、女史のそれと同様に、焼火箸《やけひばし》を咽喉《のど》もとに差込まれるような感じをさせることであった
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