には警察が厳重にしてくれ。だが科学者のいう所の観察であろうと信じている。アジソンの「スペクテートル」における観察者の義であろうと思う。ならば、観察者は清浄|無垢《むく》の傍観者であり、潔白《けっぱく》雪の如くなるべきやと、堂々とやった。
美妙も思いがけなかったであろうが、錦子は泣くに泣けない激しい失望だった。
浅草公園の売茶の店は、仁王門のわきの、粂《くめ》の平内《へいない》の前に、弁天山へ寄って、昔の十二軒の名で、たった二軒しか残っていなかった。
観音堂裏には、江崎写真館の前側に、二、三軒あった。あとは池の廻りや花屋敷の近所に、堅気《かたぎ》な茶店で吹きさらしの店さきに、今戸焼の猫の火入れをおいて、牀几《しょうぎ》を出していた。
銘酒屋は、十九年の裏|田圃《たんぼ》(六区)が、赤い仕着《しきせ》の懲役人を使用して埋め立てられてから出来た、新商売だった。
石井とめという女は、売茶女だとも、銘酒屋女だともいうが、ともかく美妙は、おとめを二百円の身《み》の代金《しろきん》をだして、月三十円かの手当をやり、物見遊山《ものみゆさん》にも連れ廻り、着ものもかってあてがった――後のこと
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