『国民の友』の初刷に帰する者あり。吾人《ごじん》かつてゾラの仏国に出《い》でたるを仏国の腐敗に帰せしものあるを聞けり。由来すると説くものを聞かず――
と「小羊《こひつじ》漫言」に『早稲田文学』の総帥坪内逍遥は書いたが、おとめ問題での美妙の反駁文には手厳しかった。「小説家は実験を名として不義を行うの権利ありや」という表題で仮借《かしゃく》なくやった。
かなり誤っている記事であろうが、それを明らかに正誤もしないで、恬然《てんぜん》、また冷然、否むしろ揚々として自得の色あるはどうか、文壇に著名なる氏が、一身に負える醜名は、小説壇全体の醜声悪名とならざるを期せざるなりと責め、――いわゆる実験とは如何、不義醜徳を観察するの謂《いい》か、みずからこれを行うの謂か、もし後者なりとせば、窃盗《せっとう》の内秘を描かんとするときは、まず窃盗たり、姦婦《かんぷ》の心術を写さんとするときは、みずからまず姦通を試みざるべからず――
と、悪虐を描くためには、悪虐し、殺人にはみずから殺人するか、そんな世間法《せけんほう》な賊は、文壇にどんな功があろうとも齢《よわい》するを屑《いさぎ》よしとしない。特にそんな奴
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