て怒ったの。お嬢さんへって宛名《あてな》で、随分しどいこと書いてよこしたのですって。あたしそれ見せてもらって、小説のなかへ入れるわ。」
とも錦子はいったりした。こんど来て見ると、美妙斎が、改進新聞社の勤めもやめてしまい、金港堂の『都の花』も廃刊になり、家の中が苦しそうだともいった。

 改良半紙へ罫《けい》を引いた下敷を入れて、いなぶねと署名したまま題も置かず、一行も書けない白紙へむかって、錦子は呻吟《うな》っている日がつづいた。
 墨を摺《す》って、細筆を幾たび濡《ぬ》らしても、筆さきも硯《すずり》の岡も、乾《かわ》いて、墨がピカピカ光ってしまうだけだった。
 錦子は、そんな、ムシャクシャしたあとで、そんなにまで書けない自分を嘆きに、美妙斎の書斎を訪ずれると、今夜も留守、今夜も留守という日がつづいた。
 錦子は、肩懸けでも編んで、気持ちをまぎらそうとしたが、毛糸を編む手許になんぞ心は集中されなんかしなかった。ウーとうなると、グイと糸をひっぱって、編棒で突きさしたりして、丸い毛糸の玉を、むしゃくしゃに捻《ねじ》りあげてしまった。
「おそろしくヒステリーになってるね。」
と、そんなあとで
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