しているのですの。だから、この頃は写真師にでもなろうかと考えていますからって断ったの。無理じゃあないでしょ。」
と言いたした。その裏に、美妙にひかれるもののある事をさとられまいとして、雄弁だった。
「色は白いけれど変なのよ、猫背《ねこぜ》なのよ、桜津っていうので、うちの女中なんか殿様だの御前《ごぜん》だのってほど、華族の若様ぜんとしているのよ。桜津|三位中将《さんみちゅうじょう》って渾名《あだな》なの。」
「それはあなたが附けたのでしょ。」
と孝子もおかしいけれど叱るようにいった。
「嘘よ、お正月の歌がるたをした時、負けたんで額に墨で黛《まゆずみ》を描かれたからよ。」
いたずらっぽくはいったが、その男は漢学の造詣《ぞうけい》も深く、書家でもあった。錦子が、北斎《ほくさい》の描いたという楊貴妃《ようきひ》の幅《ふく》が気に入って、父にねだって手に入れた時、それにあう文字を額にほしいと思って、『文選《もんぜん》』や『卓氏藻林《たくしそうりん》』や、『白氏文集《はくしもんじゅう》』から経巻まで引摺《ひきず》りだして見たが、気に入った句が拾いだせないので、疳癪《かんしゃく》をおこし、取りちら
前へ
次へ
全62ページ中45ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング