この女のところへであろうが、別荘、別荘、と別荘行きを毎夜|記《しる》しつけてある。もとより、錦嬢とあってることも、その他の女とのこともある。
 これは、稲舟にも入用なことだ。稲舟の田沢錦子は、今日までの記録では、不良少女のようにいわれているけれど、そうした留女のような莫連女《ばくれんおんな》と同棲したからこそ美妙は、錦子のモダンな性格が一層|慕《した》わしかったのかも知れない。
 錦子はまた出京した。そしてまた帰った。どうしても郷里《くに》に凝《じっ》としていられない気持ち――無論美妙斎からの手紙もある。それよりも彼女が出たいのだ。
 錦子がそうしているうちに、郷里で、彼女を恋いしたうものが出来た。それに、東京に来てから、墨田川へ身を投げようとしたような、発作《ほっさ》を起したこともあった。
 錦子に思いを寄せた郷里の男のことは、いなぶねの死後に出た秘書――美しい水茎《みずくき》のあとで、改良半紙に書かれた「鏡花録」によって僅《わずか》の人が知っているだけだ。墨田川投身も、知ってるものはすけない。
 その間に書いたものが、稲舟の文壇|初舞台《デビュー》といってもよい小説「医学終業」だ。
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