人を慕《した》って身を投げたという湖は、それは先生、田沢という姓名からのお誤りでしょう。田沢いなぶねは、ピンピンしています。此処《ここ》には、近くでは、大岸の池というのがあります。あたくし、真っ白な鵬《おおとり》に乗った、あたくしの水浴《みずあみ》の姿を描きたいのですが、駄目《だめ》ですわ――
そんなふうにも書いたことがあったようだったが――どうだろう、「蝴蝶」は、もっと前に出ているのだ――
錦子が、いくら呟《つぶや》いても仕方なかった。彼はとうとう大きな溜息《ためいき》をした。
錦子は、絵の具皿の中から、白と紅《べに》とが解けあったところを、指のさきに掬《すく》いとると、傍《かたわら》の絵絹《えぎぬ》の上へ、くるりと、女の腰の輪かくを一息に丸く描いて、その次には、上の方へもっていってポチリと点を打った盛《も》り上《あがり》をおいた。
その反対の方へむけて、腕の曲折を、ふっくらとつくると、それは、思いがけない生々しさで錦子の前へ、若い女が横たわって、羞恥《しゅうち》を含んでいる――
「おお、蝴蝶どの、そなたの姿はわらわによう似ていられる――」
歌舞伎役者のせりふ[#「せりふ」
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