、身分ちがいの故に腹を切るという、その頃では、まだ濃厚に残っていた差別待遇を諷《ふう》した作を残している。
 その芝居へ出てくる、葛城太夫《かつらぎたゆう》と、丁山《ちょうざん》という二人の遊女が、吉原全盛期の、おなじ張《はり》と意気地《いきじ》をたっとぶ女を出して、太夫と二枚目、品位と伝法《でんぽう》との型を対立させて見せてくれた。そしてそれには丁度よく美しく品位ある中村歌右衛門や、故人の沢村源之助という、伝法肌《でんぽうはだ》な打ってつけの役者がいた。
 末広鉄腸は、早く「渓間の姫百合[#「渓間の姫百合」に「(ママ)」の注記]」を出して、明治小説界の最も先駆者だが、その人たちは学者であり、政治家であり、社会人としても重きをなしていたから、十二階の高さにも、建築前に達していたというのであろう。
 事務員に黒岩涙香《くろいわるいこう》小史がいる。『万朝報《よろずちょうほう》』の建立者で、ユーゴーの「ミゼラブル」や、その他「モンテ・クリスト」をはじめ、沢山の翻訳があって、ああしたものを、その頃の一般大衆にも読ませてくれた恩人だった。
 奥山閣から――花屋敷とよばれた中にあった、宇治の鳳凰
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