目通過中に川上|眉山人《びざんじん》がいる。いい気味だわ。」
「どうして。」
と孝子は笑った。
「硯友社だからでしょ。」
「投書家って、よく何か知っているものね。ねえ、この凌雲閣の登りかたで、古い人のことも解るわねえ。」
それは錦子のいう通りだった。彼女たちが見ている十二階登壇人の続きには、
開業以前、建築中より登壇したる人というのに、末松青萍《すえまつせいひょう》、福地|桜痴《おうち》、矢野|竜渓《りゅうけい》、末広鉄腸《すえひろてつちょう》がある。
夫松さんは伊藤博文の愛婿《あいせい》で、若い時から非常な秀才と目されていた人だったという。明治十二、三年時分――もっと早くからかも知れない――演劇改良、国立劇場設立をとなえている。桜痴|居士《こじ》は、現今の歌舞伎座を創立し、九代目団十郎のために、いわゆる腹芸の新脚本を作り、その中で今でも諸方でやる「春雨傘《はるさめがさ》」が、市川家十八番の「助六」をきか[#「きか」に傍点]せて、蔵前《くらまえ》の札差《ふださし》町人、大口屋|暁雨《ぎょうう》の侠気《きょうき》と、男達《おとこだて》釣鐘庄兵衛の鋭い気魄《きはく》を持って生れながら
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