には警察が厳重にしてくれ。だが科学者のいう所の観察であろうと信じている。アジソンの「スペクテートル」における観察者の義であろうと思う。ならば、観察者は清浄|無垢《むく》の傍観者であり、潔白《けっぱく》雪の如くなるべきやと、堂々とやった。
美妙も思いがけなかったであろうが、錦子は泣くに泣けない激しい失望だった。
浅草公園の売茶の店は、仁王門のわきの、粂《くめ》の平内《へいない》の前に、弁天山へ寄って、昔の十二軒の名で、たった二軒しか残っていなかった。
観音堂裏には、江崎写真館の前側に、二、三軒あった。あとは池の廻りや花屋敷の近所に、堅気《かたぎ》な茶店で吹きさらしの店さきに、今戸焼の猫の火入れをおいて、牀几《しょうぎ》を出していた。
銘酒屋は、十九年の裏|田圃《たんぼ》(六区)が、赤い仕着《しきせ》の懲役人を使用して埋め立てられてから出来た、新商売だった。
石井とめという女は、売茶女だとも、銘酒屋女だともいうが、ともかく美妙は、おとめを二百円の身《み》の代金《しろきん》をだして、月三十円かの手当をやり、物見遊山《ものみゆさん》にも連れ廻り、着ものもかってあてがった――後のことは分らないが、はじめの支出を書いた日記を、錦子に開いて見せて、
「僕が、こんなことで厭になったのなら仕方がないが、君だけは、小説家としての僕を、知ってくれるはずだが――」
と、怨《うら》みっぽくさえいうのだった。
他人が見捨るなら、あたしは――という、不思議な反抗心が、一度は美妙に失望した錦子に、美妙を救おうという気を起させた。
そして、そう思ったことが錦子にとって、今までにない楽しさをもって来た。天涯孤立となった美妙は、錦子を、いなぶね女史として無二の話相手にしだした。錦子にとっては嬉しいことばかりだった。愛されるばかりでなく、急に一人の文学者として、美妙に遇されるようになったのだから――
人の噂《うわさ》も七十五日、あれまでにやられると美妙斎も復活しだした。稲舟も『文芸倶楽部』が博文館から発行されると、前に書いてあった「医学終業」を出して、目をつけられるようになった。「白ばら」は最初《はじめ》ての閨秀《けいしゅう》作家号に載《の》るし、「小町湯」や美妙との合作もつづいて発表された。
稲舟の作品は、美妙を離れないともいわれた。美妙に、令嬢|気質《かたぎ》を捨てろとでもいわれた
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