でもよいほど濶達な、ありのままに出産の悦びを表してゐるものだ。
 四條金吾は鎌倉幕府の江馬入道《えまにふだう》につかへた武士で、當時四面楚歌の日蓮に師事し、法華經信者の隨一ともいへる若人《わかうど》だ。金吾は日蓮龍の口法難のをりは、自分も腹を切らうとした無垢純粹の歸依者《きえしや》だ。その妻は日眼女《にちがんによ》といひ、夫におとらぬ志を持した人で、この女房《ふじん》が年廿八の出産のをりに、

[#ここから2字下げ]
懷胎《くわいたい》のよし承候畢《うけたまはりさふらひぬ》。
それについては符《ふ》の事《こと》仰候《あふせさふらふ》。日蓮相承《にちれんさうしよう》の中より撰《えら》み出して候。能々《よく/\》信心あるべく候。たとへば、祕藥《ひやく》なりとも、毒を入ぬれば藥用《くすりのよう》すくなし。つるぎなれども、わるびれたる人《ひと》のためには何《なに》かせん。就中《なかんづく》、夫婦共に法華《ほつけ》の持者《ぢしや》也《なり》。法華經|流布《るふ》あるべきたね[#「たね」に傍点]をつぐ所の、玉の子出生、目出度覺候ぞ。色心二法《しきしんにほふ》をつぐ人《ひと》也《なり》。爭《いかで》
前へ 次へ
全20ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング