た蘇武《そぶ》にきこえたといふことや、陳子《ちんし》は夫婦の別れに鏡を割つて一つづつ取り、妻が夫を忘れたときに鏡の破片が鵲《とり》になつて夫に告げたといふことや、相思《さうし》といふ女が男を戀ひ慕つて墓へ參り、木となつてしまつたが、それが相思樹《さうしじゆ》といふのだとか、大唐《だいたう》へ渡る道に志賀の明神といふのがあるが、男が唐へいつたのを慕つた女が神となつたが、その島の姿が女に似てゐる。それが松浦佐夜姫《まつらさよひめ》であるとか、昔から今まで、親子の別れ、主從のわかれ、いづれも愁《つら》いが、男女《ふうふ》の死別ほどのはあるまいなどといはれてゐる。
けれど、そこまでは慰めであつて慰めでなく、そのあとの少しばかりが、眞に尼御前《あまごぜ》にいはれようとした眼目だつたのだ。
――御身《おんみ》は過去《くわこ》遠々《とほ/″\》より女の身であつたが、この男《をとこ》(入道)が娑婆《しやば》での最後で、御前《おまへ》には善智識《ぜんちしき》だから、思ひだす度ごとに法華經の題目《だいもく》をとなへまゐらせよ。と、二首の歌も書かれてある。
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ちりし花 をちしこのみ
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