らせ給歟、たうとし、たうとし。恐々。
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六月二十七日(弘安元年)
同二年十二月二十七日は、尼が初春の料《れう》の餅をおくつたと見えて、
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十字(蒸餅《むしもち》)五十まい、くしがき一れん、あめをけ(飴桶《あめをけ》)一、送給畢《おくりたびをはんぬ》。御心ざしさきざきかきつくして、筆もつひゆびもたたぬ。三千世界に七|日《か》ふる雨のかずはかずへつくしてん。十萬世界の大地のちりは知人《しるひと》もありなん。法華經《ほけきやう》一|字《じ》供養の功徳《くどく》は知《しり》がたしとこそ佛《ほとけ》はとかせ給て候《さふら》へ、此《これ》をもて御心あるべし。
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と禮を述べ、その前月、十一月二日の日附けで、持妙尼御前名宛には、御膳料《ごぜんれう》を送られたので、亡入道殿《なきにふだうどの》(持妙尼の夫)の命日であつたかと、とかう紛《まぎ》れて、打忘れてゐたが、なるほど、そちらでは忘れない筈だと、昔、漢王の使で胡國《ここく》に行つた夫に、十九年も別れてゐた蘇武《そぶ》の妻が、秋になると夫の衣を砧で打つその思ひが、遠く離れてゐ
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