《たいしやく》は掌《たなそこ》を合せてをがませたまひ、地神《ちしん》は御足《みあし》をいただきて喜《よろこ》び、釋迦佛は靈山《れいざん》より御手《みて》をのべて、御頂《おんいたゞき》をなでさせ給ふらん、南無妙法蓮華經南無妙法蓮華經。恐々謹言
[#ここで字下げ終わり]
 これは弘安二年|己卯《つちのとう》六月二十日に書かれたものだ。
 窪《くぼ》の尼は、窪《くぼ》の持妙尼《ぢめうに》とよばれて、松野殿後家|尼御前《あまごぜ》の娘だが、武州池上|宗仲《むねなか》の室《しつ》、日女御前《にちぢよごぜ》と同じ人であらうともいふ。弘安二年以後、日蓮聖人五十七歳ごろから六十歳ごろまでにおくられた消息の中に、
[#ここから2字下げ]
すずの(種々)御供養《ごくやう》、送給畢《おくりたびをはんぬ》。大風《たいふう》の草《くさ》をなびかし、雷《いかづち》の人《ひと》ををどろかすやうに候。よの中《なか》に、いかにいままで御信用候けるふしぎさよ。ねふか(根深)ければ葉《は》かれず、いづみ(泉)玉《たま》あれば水たえずと申《まをす》やうに、御信念《ごしんねん》のねのふかくいさぎよき玉《たま》の、心のうちにわた
前へ 次へ
全20ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング