ごとし、須臾《しゆゆ》もはなれぬれば立ちあがる事なし。はかばかしき下人《げにん》もなきに、かかる亂《みだ》れたる世に、此殿《このとの》をつかはされたる心《こゝろ》ざし、大地《たいち》よりもあつし、地神《ちじん》もさだめてしりぬらん。虚空《こくう》よりもたかし。
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 といはれたのは、鎌倉が騷がしいのに、大概の女ならば、夫のそばを離れたがらないであらうし、夫を手許から離したく思はないであらうに、金吾殿をよくよこしてくれた、日蓮を思つてくれるは法華經を守つてくれるのだと述べられたのである。
 建治二年三月、下總中山、富木入道《どきにふだう》の妻の尼御前には

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――矢《や》の走ることは弓の力、雲のゆくことは龍のちから、男のしわざは女の力なり。いま富木《どき》どの、これへおわたりある事、尼御前《あまごぜん》の御力なり、けぶりをみれば火をみる、あめをみれば龍《りう》をみる。男を見れば女を見る。今富木どのに見參《げざん》つかまつれば、尼《あま》ごぜんをみたてまつるとをばう。富木《どき》どのの御物《おんもの》がたり候は、このはわ(母)のなげきの中《なか》
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