[#「このみ」に傍点]もさきむすぶ などかは人の返らざるらむ
こぞもうく ことしもつらき月日かな おもひはいつもはれぬものゆゑ
[#ここで字下げ終わり]
この文のなかの、娑婆での最後とは、彼女が夫入道の道心によつて、在家《ざいけ》の尼となり出家し、法華經を信じ奉ずるために「女人成佛」といふ、むづかしい教理がふくまれてゐるのであらうが、弘安三年五月三日の窪尼《くぼのあま》あての文の頭書《とうしよ》などは、景情そなはつてとてもよい書き出しだ。
[#ここから2字下げ]
粽《ちまき》五|把《は》、笋《たかんな》十|本《ぽん》、千日《ちひ》(酒)一筒《ひとづつ》、給畢《たびをはんぬ》。いつもの事にて候へども、ながあめふりて夏の日ながし。山はふかく、みちしげければ、ふみわくる人《ひと》も候《さふら》はぬに、ほととぎすにつけての御《おん》ひとこゑ、ありがたし、ありがたし――
[#ここで字下げ終わり]
文永八年五月七日(今から六百六十四年前)に、四條金吾頼基《しでうきんごよりもと》の夫人の出産前に書かれた消息などは、女人のことといへば、表向きは濟ましかへるがならひの僧侶など、恥死《はぢし》んでもよいほど濶達な、ありのままに出産の悦びを表してゐるものだ。
四條金吾は鎌倉幕府の江馬入道《えまにふだう》につかへた武士で、當時四面楚歌の日蓮に師事し、法華經信者の隨一ともいへる若人《わかうど》だ。金吾は日蓮龍の口法難のをりは、自分も腹を切らうとした無垢純粹の歸依者《きえしや》だ。その妻は日眼女《にちがんによ》といひ、夫におとらぬ志を持した人で、この女房《ふじん》が年廿八の出産のをりに、
[#ここから2字下げ]
懷胎《くわいたい》のよし承候畢《うけたまはりさふらひぬ》。
それについては符《ふ》の事《こと》仰候《あふせさふらふ》。日蓮相承《にちれんさうしよう》の中より撰《えら》み出して候。能々《よく/\》信心あるべく候。たとへば、祕藥《ひやく》なりとも、毒を入ぬれば藥用《くすりのよう》すくなし。つるぎなれども、わるびれたる人《ひと》のためには何《なに》かせん。就中《なかんづく》、夫婦共に法華《ほつけ》の持者《ぢしや》也《なり》。法華經|流布《るふ》あるべきたね[#「たね」に傍点]をつぐ所の、玉の子出生、目出度覺候ぞ。色心二法《しきしんにほふ》をつぐ人《ひと》也《なり》。爭《いかで》
前へ
次へ
全10ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング