ゑこんだのではない、その土地|根生《ねお》ひの教材が繁茂してゐることは、心ある後代の人をして、よく殘しておいてくれたと悦ばれることであらうし、その土地を語る大切なことであるから、地元の住民は、極力原型保存を守らなければならない。
宮城外一帶の、あの美觀を見るほどのものみなが、どんなに自分の生れた國を心に深く知ることか――
故郷《ふるさと》の山野をもたぬこの大都の子供たちに、公園は遊ぶところであつて、そして、都會の成りたつてゐる土地の靈に、ぴつたりと抱きつかせる歴史を――それを持つてゐる自然公園では、地形の上に、一草の上にも、無言で語つてくれるものを殘して止めおきたい。
新東京風景を撰めば、丸の内の宮城の廻りを第一に推す。
雪の日に、雨の日に、風の日に、冬に、春に、秋に、夏に、日和の日の、空高く晴れたのもいふまでもなくよい。
打ち展いた空を自由に眺められない、繁華な街にうまれたからだといはれるかも知れないが、私は、どんな心急《こゝろせは》しい時でも、車があの邊にかかると、ふつと窓から空を見上げるのが習慣《ならひ》になつてゐる。夜晝の差別なく眺めやる。おゝ冬だな、おゝ夏だなと―
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