があるから焦りはしない。その人たちが惜しむのは自然の姿の破されることで、そのしほらしい愛惜の念は、江戸の昔に名殘をとどめてゐた水郷ふうの田園風景が、東京の發揚にしたがひ、爛熟した江戸情緒の失はれるのとともにほろびて消えてしまふのを、惜しむのと似た氣持ちだが、さうした牧歌的なものをこの近代都市の中から、異つたかたちでめつけだしてゆくのも面白いことであれば、廣くいへば、それらは都會の外に求むべきもので、田園の故郷を、この都のなかの隨所に、殘存させようといふのが無理なのだ。
だが、大都會となればなるだけ、緑地帶はほしい。公園は多趣多樣なのが澤山ほしい。高松宮家より頂いた麻布の公園や、井の頭の恩賜公園や上野や芝など、どうかあんまりもとの自然を損じないでその土地の、古昔のままの樹木や、土の起伏を保存したいものだ。いはゆる公園風なものと改惡してしまはないことを望んで止まない。その保存によつて、いま三、五十年もたてば、ありのままの、その土地の、日本の古さを物語る、大事な大事な記念のものとなるのは知れてゐる。人工の美、機械の美をつくした近代都市の中央に、自然林をもつた公園、その一木一草に、あとから植
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