いった。お園は早速|四辺《あたり》を見廻して、一人の師匠を指さした。その人はにこにこして「鈴が森」を弾いてくれたが、それは誰あろう当時の名人|竹本住太夫《たけもとすみたゆう》であった。住太夫はお園の胆気《たんき》と、語り口の奥床《おくゆか》しいのに打込んで、これこそ我が相続をさせる者が見つかったと悦《よろこ》んだ。もとより男の子だとばかり信じてしまったので、何でも養子に貰《もら》いたいとお勝を困らせたが、女だと分ると非常に失望して悔《くや》しがった。けれどもそれからは心を入れて教え導びいた。それも七歳《ななつ》のこと。
お園は明治八年の六月の生れで、初夏の、溌剌《はつらつ》とした生れだちである。養母のお勝も気が勝っている、その上に、女中がわりに人形操《あやつ》りの山本三の助というものの母親がいた。その女が東京へ出ることになったおり、お園親子にも上京を勧めた。それが綾之助となる動機――振りだしで、お園が十一歳のおりのことである。日本橋久松町に住む近親をたよってゆくと、その人が知己《しりあい》を招いてお園の浄るりを聞かせた。それが東京での封切りであった。その折、市村座の座主がお園に目をつ
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