の江戸堀|蔵屋敷詰《くらやしきづめ》の武家であったが、源兵衛は持って生れた気負い肌《はだ》が、侍をやめて、維新の新政を幸いに気軽く職人になってしまったのだった。大酒家《たいしゅか》ではあり、居候《いそうろう》は先方がいるなり次第に置きほうだいであったその人の、綾之助は三女に生れ、本名はお園さんである。
源兵衛の妹のお勝さんという伯母《おば》さんが、お園を貰《もら》って育て、後年の綾之助に仕立て、自分は三味線ひきになって鶴勝《つるかつ》と名乗り、綾之助の今日ある基礎をつくったのであった。孀《やもめ》のお勝も源兵衛の妹だけあって気性の勝った人で、お園が男のように竹馬に乗ったりして遊ぶのを叱言《こごと》もいわずに、五|分《ぶ》刈の男姿にしておいた。町内の者がお園のことを男おんなと呼ぶのを、知っていても知らぬ顔をしていた。
新町の畳屋の近所に男義太夫の新助というのがあった。お園が七ツのおりにその新助が「由良《ゆら》の港の山別れ」を教えた。ある折、一段語りおえて、親たちを嬉しがらせたあとで、
「御褒美《ごほうび》のかわりにお酒が飲みたい」
といって、七歳のおそのやんが生《き》一本の灘《なだ》
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