ち》の生れを本場とし、修業もその土地を本磨きとするのである。
わが竹本綾之助《たけもとあやのすけ》、その女《ひと》もその約束をもって、しかも天才|麒麟児《きりんじ》として、その上に美貌《びぼう》をもって生れた。私は綾之助を幸福者だと思う。何故《なぜ》そういうかといえば、綾之助の現今は三人の娘の母親として、夫には長い年月の間も、最初にかわらぬ恋人として、家庭の中軸《なかじく》となっている。三人の娘は、さだ子、いと子、ふじ子とよんで、母の美しさと父の秀《ひい》でたところをとって生れた。姉は高女をこの三月に卒業し、中《なか》のいと子は実科女学校に学ばせている。綾之助は芸にも自家《じか》の見《けん》を立てているように、子女の教育の上にも一家の見識を持っている。娘たちの長所短所を見分けて、学ぶところを選ませている。家庭では、女中のする仕事をわけてさせ、娘たちを一人前の婦人とすることに腐心している。それは彼女が、彼女のあの名高かった盛時の芸名を、美しい娘の三人をも持ちながら、どの子にも伝えようとしないのにも、操持《そうじ》の高いことが窺《うかが》われる。彼女にはそうした満足と誇りがあり、そして家
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