》と、背中を丸くして目を摺《す》り赤めた老婆の涙が代表して待構えていた。そしてぼんち[#「ぼんち」に傍点]は強い刺戟《しげき》に爛《ただ》れた魂を、柔かい女の胸の中に、墓場に探《たず》ねあてて死んでいった。
そうした義理人情の葛藤《かっとう》と、武家の義理立ての悲劇を語りものにしたのが義太夫である。であるから、節《ふし》であり、絃奏をもったものでありながら、義太夫は他の歌とはちがって唄《うた》うものではない、語りものである。現われる人物の個性を、苦悩を語り訴えるのである。
竹本義太夫がその浄瑠璃節《じょうるりぶし》の創造主であるゆえに義太夫と唱え世に広まった。またその当時|人形操《あやつ》りには辰松八郎兵衛《たつまつはちろべえ》、吉田三郎兵衛などが盛名を博し、不世出の大文豪、我国の沙翁《さおう》と呼ばれる近松門左衛門《ちかまつもんざえもん》が、作者として名作を惜気《おしげ》もなく与え、義太夫に語らせ、人形操《あやつ》りの舞台にかけさせた。そして近松翁が取りあつかった取材は、その多くを当時の市井の出来ごとから受入れている。そうして義太夫節は大阪に生れ、大阪に成長し、語る人も阪地《はん
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