に真似《まね》、文句も浄るり節《ぶし》の手紙を、半年のうちに百数十通おくった。
 綾之助の夫石井健太は、まだ三田に在塾のころ、十二歳からの彼女の姿を知っていた。卒業の後《のち》三田|聖坂《ひじりざか》に一戸をかまえて、横浜のある貿易商につとめていた。石井氏が綾之助を愛《いと》しんだのは、恋ではなかったが、綾之助は世心《よごころ》がつくにしたがって、この人にこそと思いそめたのであった。綾之助が十九の春は、彼女にとって忘れかねる、匂いこまやかな霞《かすみ》の夜であったろう。廿六の彼は、初めて彼女の志を入れ、終世を共にする誓《ちかい》を結んだのだが、成恋の二人の間には、惨《いたま》しい失恋の人があって、その人の誠心《まごころ》が綾之助の幸福のために仲人となってくれたのだった。
 その人は石井氏の友達の弟であった。綾之助を恋したために落第も二、三度した。机の上の洋燈《ランプ》の笠《かさ》には彼女の名が黒々と書かれ、畳の上に頭をかかえて転《ころ》げ廻る彼は、
「日本中の者が死んで、俺《おれ》と彼女と二人ぎりになればよい」
と呟《つぶ》やきくらしていた。ある夜、石井氏と一緒に綾之助のかかる席へゆく
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