》をとっていた。それが今日の堂摺連《どうするれん》の元祖である。
 聞くところによると三田の堂摺連の元祖は、同塾の秀才であった坂本易徳氏だということである。氏はいまこそ文壇のよた[#「よた」に傍点]をもって名が通り、紅蓮洞《ぐれんどう》の名は名物とされているが、狷介不羈《けんかいふき》、世を拗《す》ねたぐれさん以前にも、新派劇、女優劇と、何処の芝居の楽屋にも姿を現す、後日の素質は含蓄されていたものと見えて、この人が綾之助を三田党の随喜|渇仰《かつごう》の的に推称したということである。すれば、綾之助には紅蓮洞氏が結ぶの神でなくてはならない。恋人であり夫である石井健太氏は、紅蓮洞氏が率いた三田党の出身であるから――けれど、ぐれさんに言わせれば「三田の堂摺《どうする》ではない、俺《おれ》は天下の堂摺だ」と大語するかも知れない。
 堂摺連は自分たちが推称する女王のかかる席へは、道を遠しとせず出かける。雨も、雪も、熱血漢の血を冷すには足りない。懐《ふところ》のさびしいのは隊を組んで歩いて廻る。もすこし熱狂に近いのは女王の車へ随従して車で乗廻す。それよりも激しいのは人力車《くるま》の轅《ながえ》に
前へ 次へ
全18ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング