きに、有《あり》のままをお話しなさる気になって、「実は何処《どこ》の美しい方かと思って見ていました。芸者ではないかしらとも考えたのです」と仰《おっ》しゃられたら、楠緒さんは些《ちっ》とも顔を赭《あか》らめず、不愉快な表情も見せず、先生のお言葉をただそのままにうけとられたらしかったと、懐《なつか》しいお話しがありました。
 夏目先生は、楠緒さんのおなくなりの時に、「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」という手向《たむけ》の句をお詠《よ》みになりました。
『硝子戸の中』その章《くだり》をお読みなさった大塚|保治《やすじ》博士は、「漸《ようや》く忘れようとすることが出来かけたのに、あれを見てからまた一層思いだす。」と仰しゃったそうです。嘘かまことか知りませんが、正宗白鳥《まさむねはくちょう》さんが角帽生という仮りの名でお書きなされたものの中に、大学の文科においでなさった頃の博士と、前東京控訴院長大塚正男氏の長女の楠緒さんとは、思いあっておむかえなされた仲のように書かれてあったかと覚えております。そうでなくても女史ほどの御配偶をお先立てなされたお心持ちは、思出さぬようにとするのが無理な諦《あきら》め
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