治四十三年に三十六歳を年の終りにして、霜月《しもつき》九日の夕暮に大磯の別荘にて病《やまい》のためにみまかられてしまいました。
女史には老たる両親《ふたおや》がおありでした。三人の女のお子と、その折に二歳《ふたつ》になる男のお子とをお残しでした。今は、二人の女のお子は母君《ははぎみ》のあとを慕《した》って、次々に世をさられました。
女史の遺著は小説、歌文、詩、脚本など沢山にあるなかに、『晴小袖《はれこそで》』は短篇小説をあつめ、『露』は『万朝報《よろずちょうほう》』に連載したのが単行本になりました。『朝日新聞』にて『空《そら》だき』をお書きなすってから、作風も筆つきも殊更《ことさら》に調ってきて、『空だき』の続稿の出るのがまたれました。が、それは女史の胸に描かれただけで、『空だき』が私の読んだものではお別れになってしまいました。
晩年に女史が私淑《ししゅく》なさったのは、夏目漱石先生であったということを後《のち》に聞きました。その夏目先生が楠緒さんをお思出しになったことが最近先生のおかきになった『硝子戸《がらすど》の中《うち》』の一節にありました。無断でそのことを此処《ここ》へ抜
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