がありました。
その方がその当時、一葉女史を退《の》けては花圃《かほ》女史と並び、薄氷《うすらい》女史より名高く認められていた、楠緒《くすお》女史とは思いもよりませんでした。自分たちと同じほどの年頃のお方かと思っていましたが、女史は二十一か二の頃でありましたろう。お連合《つれあい》の博士は海外へ留学なさってお出のころでした。
四年ばかりたちました。春三月に竹柏《ちくはく》会の大会が、はじめて日本橋|倶楽部《くらぶ》で催されたおりにはっきりと楠緒女史はあの方だと思ってお目にかかりました。もうその頃はずっと地味づくりになって、意気なおつくりで黒ちりめんの五ツ紋《もん》のお羽織を着てお出でした。女のお子のおありのこともその時に知りました。
その後《のち》も何かの会のおり、写真を写すおり、御一緒になって一言《ひとこと》二言《ふたこと》おはなししたこともありましたが、私の思出は何時《いつ》も一番お若いときの、袖を撫《なで》ておはなしをなさっていた面影が先立ちます。
容姿《かたち》も才智《ざえ》も世にすぐれてめでたき人、面影は誰にも美しい思出を残している女史は、数えれば六年《むとせ》前、明
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