うちに、一枚の写真の人物に引きつけられて、忘れられない美しい女《ひと》を目に残した。今から廿二、三年も前のことで、五、六人の美女にとりまかれて、もっとも美しい女が中央《まんなか》に立って踊っている、そのひとだった。星のような眼がすこし笑っていた。おんなじ連中で、歌がるたをとっているのもあったが、わたしはどうした事か踊りの方にひきつけられていた。そして中央の美人は、濃い髪を銀杏がえしに結って、荒いかすり――その頃は漸《ようや》くはやりだしたばかりだと思った――大島|紬《つむぎ》を着て写っていた。
しかし、わたしはその人たちが何処《どこ》の連中だか知らなかった。知ったにしたところがその美しい人は、もう紅葉館の美姫としてではなかった頃であろう。その後ほどなくわたしは竹柏園《ちくはくえん》先生のお宅の、お弟子たちの写真箱の中から、中島写真館で見出《みいだ》したとおなじ人の、おなじ写真を見出した。
「この方は、どなたで御座いましょう、先生」
わたしの声は悦びに額《ふる》えていたに相違なかった。
「博文館の大橋さんの夫人です」
そう聞くと、その姿こそ見る時がなかったけれど、紅葉館でも勝《すぐ》れた美貌の女であったということだけは知っているので、なるほどそうかと、不思議に満足をした気持ちであった。
その後、近々と、この麗人を見る日が幾度かあった。ことに美しいと見たのは、もう三十幾つ――四十に近いと聞いていたが、ある年の晩春に、一重ざくらが散りみだれる庭に立った、桜鼠《さくらねずみ》色の二枚|重《がさね》を着た夫人ぶりであった。いかな高貴の人柄というもはずかしくない、ねびととのった姿で、その日は、貴紳、学者、令嬢、夫人の多くのあつまりであったが、優という字のつく下に、美と、雅と、婉《えん》と、いずれの文字をあてはめても似つかわしいのはこの人ばかりであると、わたしの眼は吸いつけられていた。金襴《きんらん》の帯が、どんなに似合ったことぞ、黒髪に鼈甲《べっこう》の櫛《くし》と、中差《なかざ》しとの照り映《は》えたのが輝くばかりみずみずしく眺められたことぞ。わたしは、昔物語のなかの、なにがしの御息所《みやすどころ》などいう※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たげな女君《めぎみ》に思いくらべていたりした。
出世を嬌《たか》ぶらない、下のものにも気の軽
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