役《こうけんやく》で、半分は拝見の心持ちで、坐っている。もう一人大柄な、顔もおおきい、年もかなりまさっている老女が、頭のまん中へちいさな簪巻《かんざしま》きを(糸巻きという結びかたかも知れない)つけて、細い白葛引《しろくずひ》きをぴんと結んで、しゃんとした腰附きではあるが、帯をゆるくしめて、舞扇をもって立っている。
 その傍に、小腰をかがめて媼《おうな》の小舞《こまい》を舞うているのは、冴々《さえざえ》した眼の、白い顔がすこし赤らみを含んで、汗ばんだ耳もとから頬《ほお》へ、頬から頸《くび》の、あるかなきかのおしろいのなまめき――しっとりとした濡《ぬ》れの色の鬢《びん》つき、銀杏《いちょう》がえしに、大島の荒い一つ着《ぎ》に黒繻子《くろじゅす》の片側を前に見せて、すこしも綺羅《きら》びやかには見せねど、ありふれた好みとは異っている女《ひと》が、芸にうちこんだ生々《いきいき》しさで、立った老女の方へ眼をくばっている――
  ――さてもさても和《わ》ごりょは、誰人《だれびと》の子なれば、定家《ていか》かつらを――
 京舞井上流では、この老女ものの小舞は許しものなので、人の来ない表広間の二階の、奥まった部屋にこの四人は集っている。薄暗いほど欄間《らんま》の深い、左甚五郎の作だという木彫のある書院窓のある、畳廊下のへだての、是真《ぜしん》の描《か》いた紅葉《もみじ》の襖《ふすま》をぴったり閉めて、ほかの座敷の、鼓や、笛の音に、消されるほど忍びやかに稽古をつけている。
 立っている、糸巻きに髷《まげ》結んだ老女が、井上流の名手、京都から出稽古《でげいこ》に来て滞留している京舞の井上八千代――観世《かんぜ》流片山家の老母春子、三味線を弾《ひ》いているのは、かつて、日清役《にっしんえき》のとき、威海衛《いかいえい》で毒を仰いで死んだ清国の提督、丁汝昌《ていじょしょう》の恋人とうたわれたおしかさん、座っている老女は、紅葉館創立以来のお給仕《きゅうじ》の総指揮役で、後見役のおやすさん。舞いをならっていた女は、それらの人たちにとっては、客人《まとうど》でもあり、もすこし親しみのある以前の朋輩《ほうばい》でもあった大橋夫人須磨子さんだった。

 美に対する愛惜――そうした分明《はっきり》した心持ちを知らなかった時分のことではあるが、わたしはある日、呉服橋の中島写真館で、アルバムをくってゆく
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