うな心持を與へられる。
私は春が來るごとに、少女達の魂が、宵々ごとの夢にどんなふうに蒸《む》されてゆくだらうかと、笑《ゑ》ましくなつて少女達の顏を眺めることがある。私がまだほんの少女の時分に、凍瘡《しもやけ》のいたがゆいやうな雨のふる宵に風呂から出て、肌の匂ひとは知らずに、白粉の溶《と》けてしみこむ頸もとを眺めたり、自分でも美しいと思ふやうな眼の色を見詰めてゐたり、しつとりと香油をふくむ黒い鬢の毛を掻きなでて見たりして、燈火のもとで鏡に見惚れてゐた時もあつた。
いま私の※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りに、十六の春を、自分の唇の色にも唆かされるやうな夢見がちな娘たちが居る。私はその少女達の面《おも》を眺めるたびに、春風ではないが、少女の額へ柔かい微笑が投げてやりたくなる。
男に生れるのなら
やにつこい色男でなく、才子でなく、といつて大男總身に智惠が※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りかねでなく、老年になつてから哀れだから、細面の美男子でもなく、といつてドングリの如く堅く強げでも、あまり野蠻では厭。
日々の心の生長する、膽ありて細心《さいしん》、己
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