入つたのだ。
 それにも負けずに、この頃あたしの、心の隅つこの方に住んでゐる、夕暮の歌がある。一ツは、サッフオの「夕づつの清光を歌ひて」といふ三行詩だ。
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汝は晨朝の蒔き散らしたるものをあつむ。
羊を集め、山羊を集め、
母の懷に稚子《うなゐご》を歸す。
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 といふのと、アンリ・ド・レニエの「銘文《しるしぶみ》」といふ、これも三行の詩で、
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あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し
あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し
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 共に、上田敏氏の譯である。
 私はロシアといふ國のことを、種々に聽いてゐるが、その自然に對して、改造四月號の、横光利一氏の「半球日記」に書かれた、あの單純な、あの、無造作に見えるほどの表現によつて、草、草、草と、茫々した天地、悠久たる草原をともに見るの思ひがした。
 ――私は線路の傍に細々とついてゐる一條の路を眺め、ここをドストエフスキーが橇に乘つて流されて來たのかと見詰めてゐるばかりだ。
 とあるところでは、わたくしも、びつくりと見詰めてゐるばかり
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