らぬ誇りを生産に持つ。
春の新潮《あらしほ》に乘つてくる魚鱗《うろくづ》のやうな生々《いき/\》した少女《をとめ》は、その日の目覺めに、光りを透《すか》して見たコツプの水を底までのんで、息を一ぱいに、噴水の霧のやうな、五彩の虹を、四邊にフツと吹いたらう――[#地から2字上げ](「令女界」昭和十一年四月一日)
昨今
長く病らつてゐる人が、庭へ出られるころには、櫻花も咲かうかと思つてゐると、この冷氣だ。
だが、庭へおろしておく椅子などを、物置から出さしてゐるのなどは樂しい。風は寒くても、さすがに陽光は春だ。
マルセル・プルウストの「音樂を聽く家族」といふのを、譯者の山内義雄氏から貰つたので、その椅子に腰をおろして、ちよいとの間を盜んで頁を斷《き》ると「テュイルリイ」といふ章に、
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今朝、テュイルリイの庭の中、太陽は、ふとした影の落ちるのにも忽ち假睡《うたゝね》の夢やぶられる金髮の少年といつたやうに、石の階段《きざはし》の一つびとつのうへに輕い眠りを貪つてゐた――
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といふ書出しを見て、幾度も讀みかへす。なんともいへず氣に
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