、そこにある器具や土地の名や、狐をよみこんで一首つくれと、お客がいふので主人の即興詩だといふことだ。が、わたしはそれよりも、子供たち、早くその注鍋《さしなべ》で湯を沸かせろ、狐が檜橋《はし》の方からくるぞ、あいつにぶつかけてやらう、と、急に狐狩を思ひたつ、昔の人の、一ぱい機嫌が見えるやうに自分解釋もそへて、なんとなくなつかしく好きなのだつた。櫟津《いちひづ》は大和の添上《そへかみ》郡だといふから、櫟津《いちひづ》の檜橋《ひばし》とつづけると、神田の龍閑橋《りうかんばし》とか芝の土橋《どばし》とかいふふうに方向まで示してゐるので、その土地に委《くは》しくもないくせに、大和生れの娘の顏を見て、にやついたのだ。
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葛の葉の信田《しのだ》の森の狐に似てゐる話が「靈異記《れいいき》」の中にあるが、その狐も人間の子を生んでゐる。
欽明天皇の御代、三野の國大野郡の人が野中で遭つた女を家に連れて來て、一男を生ませたが、その家の犬が十二月十五日に仔を生んだところが、犬の仔が家室《おいへさん》にむかつて吠えてしかたがない。家室さんは犬の仔を殺してくれと家長《だんなさん》にいふのだが
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