優《やさ》しげなことを耳にきいてゐるので、狐が化《ば》かすと馬糞を御馳走だといつて食べさせたり、こやし溜へお湯だといつて入れるのといふ、汚い方のことなどは笑つてしまつて、美しい方のことだけが聯想されるのだつた。それは、わたしたちが都會の子供で、狐については、本ものを知らず、彼の狡智《かうち》な顏つきに接せず、しかも、そんな、汚なく化《ばか》される人間そのものを、てんから馬鹿ものとして耳にしてゐたからなのかも知れない。
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ある日わたしは、大和の人に日向雨《ひなたあめ》が降ると、狐の嫁入りといふかときいた。この娘は高市《たけち》郡の八木の方で生れて、奈良市にも住み、河内にも吉野にも親類があつた。さういひますいひますと懷《なつか》しい郷土を思ひだして、にこにこしながらいつた。
萬葉集のなかに、たぶんたつた一ツであらうと思ふ狐の歌が、これもずつと前から好きなので
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さしなべに湯沸かせ子ども櫟津《いちひづ》の檜橋《ひばし》より來む狐《きつ》に浴《あ》むさむ
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といふのを覺えてゐる。これは、お酒をのんでゐるときに狐が鳴いたので
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