ったであろう。抱月氏の逝去《せいきょ》された翌日、須磨子は明治座の「緑の朝」の狂女になっていて、舞台で慟哭《どうこく》したときの写真も凄美《せいび》だったが、死の幾時間かまえにこんなに落附いた静美をあらわしているのは、勇者でなければ出来得ない。私は須磨子を生活の勇者だとおもう。
 ――誰れの手からも離れてゆくこの女の行途《ゆくて》を祝福して盛んにしてやりたいから、という旧芸術座脚本部から頼まれた須磨子のための連中は、七草の日に催されるはずであった。けれどもう見ることは出来ない。芝居の大入りつづきのうちに一座の女王《クイン》が心静かに縊《くび》れて死んでしまうということは、誰れにも予想されない思いがけない出来ごとであって、幾年の後、幾百年かの後には美しい美しい伝奇として語りつたえられることであろう。
 その最後の夜、須磨子としては珍らしく白《せりふ》を取り違えたり、忘れてしまったりして、対手《あいて》をまごつかせたというが、そんなことは今まで決してない事であった。舌がもつれて言いにくい様子を不思議がったものもあった。カルメンの扮装をしたままで廊下にこごみがちに佇《たたず》んでいたというの
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