《たむらとしこ》さんが、
「何故《なぜ》挨拶《あいさつ》しないのよ。だまって顔ばかり見ていてさ。一体知っているの知らないの」
こう言っても、やっぱり丸い眼をして――舞台で見るのとはまるで違う、生彩のない無邪気な眼をむけて、だまって、度外《どはず》れた時分にちょいと首を傾《かし》げて挨拶とお詫《わび》とをかねたこっくり[#「こっくり」に傍点]をした。それが私には大変よい感じを与えたのであった。可愛いところのある女だと思った。
自分のことと須磨子の事件とがひとつになって、新聞を見ていても目の裏が火のように熱く痛くなった。彼女が臨終七時間前に撮《うつ》したという「カルメン」の写真は、彼女の扮装《ふんそう》のうちでもうつくしい方であるが、心なしか見る目に寂しげな影が濃く出ている。どうした事かそのおりばかりは、写真を撮《と》るのを嫌がって泣いたのを、例の我儘《わがまま》だとばかり思って、誰れも死ぬ覚悟をしている人だとは知らないので、「そんな事をいわないで」といって無理に撮らせてもらったのだというが、死の前に写した、珍らしい形見の写真になってしまった。きっと彼女の目のなかは、焼けるように痛か
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