にも初舞台である。多くあった女生《じょせい》もその時になると山川|浦路《うらじ》と松井須磨子とだけになっていた。ハムレット劇の王妃ガーツルードは浦路で、オフィリヤは須磨子であった。それは明治四十四年の五月のことで、新興劇団の機運はまさに旺盛《おうせい》の時期とて、二人の女優は期待された。
廿五歳になったおり卒業を前に控えて彼女の第二の離婚問題はおこった。自分の天分にぴったりとはまった仕事を見出すと、彼女の倨傲《きょごう》は頭を持上げはじめた。勝気で通してゆく彼女は気に傲《おご》った。それに漸《ようや》く人物の価値《ねうち》の分るようになった彼女は前沢との間が面白くなくなりだした。満されないものがはびこりはじめた。良人との衝突も度重《たびかさ》なって洋燈《らんぷ》を投げつけるやら刃物三昧《はものざんまい》などまでがもちあがった。とうとう無事に納まらなくなってしまった。その間に彼女は卒業した。
ヒステリー気味な所作《しうち》は良人へばかりではなかった。同期生の男たちが、山出《やまだ》しとか田舎娘などとでも言ったら最期《さいご》、学校内でも火鉢が飛んだりする事は珍らしくなかったのである。
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